経済は感情で動く
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行動経済学とは、人間の行動によって経済がどのように動くかという学問だ。
20世紀までの経済学では、人間というのは合理的で冷静な判断によって、経済活動を行うモノだという風に考えられてきた。
と言うのもホンの200年くらい前までは、経済学と言っても、大きなお金を動かせる主体というのは限られていたからだ。
200年以上前の世界というのは、土地は国王や教会、封建領主などの所有物であったし、農業生産者も「農奴(のうど)」と言って、土地に縛り付けられた半奴隷のような身分だったからだ。
200年以上前の世界では、生産と言えば農産物の生産であり、食物生産に大きな労働力をさいていた。
そのため、計画的に農産物を栽培できる農地と、農業生産を行う労働力(農奴など)はセットであり、農地と農奴は、ひとまとめにして考えられていた。
なので経済学とは、国王や封建領主などの資産持ちが、その資産をどのように運用するかという観点から考えられていた。
しかしアメリカ大陸から、トウモロコシやジャガイモ、トマトや唐辛子などといった作物が伝わり、ヨーロッパで農業の生産性が急激に高まった。
農法も「三圃式(さんぼしき)」農業から、「輪栽式(りんさいしき)」農業に変わっていった。
これによって、生産計画の善し悪しが結果を大きく左右するようになり、有能な農園経営者がドンドン台頭するようになっていった。
投資をして生産して回収すると言った経済活動が、国王や貴族・豪族、教会だけでなく、中小の農園経営者や手工業者に拡がっていった。
農業革命から産業革命へ
ほんの200-300年前の世界では、農業に投資を行えるような主体とは、国王だとか貴族だとか教会だとかいった、ごく限られた人々のみであった。
農地を所有し、農園を経営するといったことは、限られた階級だけが行う経済活動で、一般の国民や庶民が関わる経済活動は、非常に限られていた。
ところが農業が三圃式農業から輪栽式農業に変化するのにつれて、経営の善し悪しと収益の相関関係が強くなった。
三圃式農業は、ある意味、お天気任せの農業であり、努力しようがしまいが、収穫量はあまり変わりはしなかった。
三圃式農業というのは、簡単に言うと、耕地を3等分して、そのうちの一つを休閑地にして休ませるという農業で、重要な経営判断など必要なかったのだ。
ところがクローバーやアルファルファといったマメ科の植物を、牧草として使うことが広まった。
クローバーやアルファルファは根粒菌と共生しており、空気中の窒素を肥料代わりにして、ドンドン成長するのだ。
クローバーの花の蜜は蜂蜜の蜜源として利用でき、葉も茹でて食べることができる。
またアルファルファは地中深くまで根を伸ばすため、雨が少ない土地でも栽培しやすく、安定的な牧草生産が可能だ。
一方、カブ(蕪)などの中耕作物が、家畜のエサに使えることが分かり、休閑地で牧草や蕪などを生産し、舎飼いで家畜をたくさんに飼うことが可能になった。
これによって、地力を回復させるために休閑地にしていた土地でも農業生産が行えるようになり、ヨーロッパでは農業生産量がどんどん伸びていった。
そして農業経営に長けた者が、どんどん勢力を伸ばして行ったわけだ。
そして農業生産が伸びた結果、より多くの人口を養えるようになり、人口も爆発的に増えた。
増えた人口は産業革命で発達した工業の担い手となり、経済活動の主体となっていった。
今や個人消費は日本のGDP(国内総生産)の約6割を占めているし、アメリカでは約7割が個人消費にまでなった。
その結果、経済は個人の感情に大きな影響を受けるようになったと言うことらしい。